DRCSC=Development Research Communication & Services Centre

 西ベンガルの季節行事や、DRCSCの日常のことなどについてお伝えします。

 

「土埃まみれの狭い道でも」
- even under construction -

 
 ドゥルガ・プージャも過ぎて乾季が本格的に始まると、コルカタの街ではあちらこちらでインフラの整備工事が始まります。一度降り始めた雨はいつまで降り続くか知れず、また地面も緩んだままになるので、コルカタに限らず、ベンガル地方では雨季にはおこなわれません。建設工事もすべて乾季におこないます。
 スケッチは2月にとったものですが、我が家のすぐ近くの工事現場の様子です。つるしやスコップでえんやこら、すべて手作業で掘り下げていきます。一生懸命ハンマーを振りおろす人、運び出す土砂が出るのを待っている人、冷やかしのまなざしで休んでいる人など、工事に関わる人間はもちろんですが、道は通行禁止になるわけでもなく、立ち入り禁止エリアがはっきりするわけでもないので、土埃まみれの狭くなった歩道に積み上げられたレンガを避けて、「どいてどいて」などと言いながらヨチヨチと歩く老婦女もいますし、掘り下げされた溝のすぐ脇で長い立ち話をする学生風の人もいます。いったいいつ終わるのやら。毎年少しずつ進められているようです。
 脇にはいつもどおり露店が出て、お茶をすする人やスナックに手を出す人も目につきます。時間と空間が密接な関係を持ってよどんでいますが、居合わせる人間がそれを苦にもしないので、その密度が高くなって結果的ににぎやかになるのでしょうか。コルカタのこういう不便な場所には、しかしなんだか活気があって面白いです。

(2009年3月、うえはらゆうき)

「忘れることができない」
-unforgettable -

 先日、DRCSCの事務所で、WE21の女性たちとコルカタで日本語を勉強しているベンガルの主婦たちとの対面交流会がありました。僕はこの主婦の何人かと親しいこともあり、またこの交流がどんな火種を生むのか思いを馳せるのも楽しみで、参加させてもらいました。さらにこの交流は翌日にも続き、こちらには僕は参加できませんでしたが、ベンガルメンバーの自宅に集い、墨字を初体験したのだとか。
 数日後、このベンガルの主婦たちと会う機会がありました。僕が聞くでもないのに、彼女たちはこの体験についてしゃべり始めます。自宅へ迎えた主婦は「夢のようだった」と言います。
 彼女にとっては年輩の日本の女性を迎えるにあたって、お茶請けに何を用意したらよいか、丸一日悩んだのだそうです。その末に香辛料と油を控えめに作ってみたら、レシピまで控えてもらえたと喜んでいました。さらに台所にあったスパイシーなチキンカレーが大好評だった驚きや、何より墨字の詩が自分の家に飾られていることが誇らしい。
 続けて日本語を勉強し始めてから起こったいくつもの喜びや驚きのエピソードも話してくれました。最初は退屈な主婦生活の時間つぶしに始め、どうせ何になるでもなかろうと思っていた日本語の勉強ですが、続けていてよかったと言い、「最近は海外旅行にも行きやすくなったけど、なかなかこんな気持ちにまではなれないと思う。私は日本には行ったこともないけど、幸運だわ」とこぼしました。興奮は夢を持つことによってばかりではなく、日々の生活を積み重ねていくその結果として現れるということも、またあるようです。何かが生まれるのは、むしろこのような興奮があったときかもしれません。さて、どんなことが起こるやら。
 ちなみに、墨字のときにもらった墨汁は、そのケースを飼い犬が喰いちぎり、カーペットが全部真っ黒に。それを落とすのにお風呂場で奮闘、結局全然落ちなかったとのこと。もはや「忘れることができない」そうです。


主婦たちが
勉強している様子

我が家へ遊びに
来てくれた時の写真

我が家に吊るした幕の
意味を説明すると
喜んでくれた

(2009年1月、うえはらゆうき)

「コルカタの季節感」
-How would you find out the season in Kolkata?-

 

 11月までの目白押しのフェスティバル・シーズン(プージャ・シーズン)を過ぎて、かなり涼しくなりました。
 日本にいる知人・友人の中には「インドは暑いばかり」という印象を持っている人もありますが、そんなことはありません。ベンガル地方ではおおまかにふた月ごとに、6つの季節に分けてとらえるのが一般的です。「酷暑期」「雨期」のようにメリハリがはっきりしているものや、市場に並ぶ野菜や果物、人々の出で立ち、雨の多少や木々の色などによって、変化をほのかに感じることができるものもあります。とりわけ、個人的に僕が印象として強く残しているものは、蛍がたくさん飛んでいる風景でしょうか。
 コルカタでは、街なかであっても大きな庭や、古い空き地のような場所がたくさん残っています。池もあります。大通りからでも、そこから伸びている大きな木が見えます。たいてい水はけが悪くうっそうとしていて、雨が降った後などにはひどくじめじめしている。そういったところはたいてい、光る種の蛍が飛ぶ場所です。
 ある時、広場一面がちかちか輝いていて、木の上の方までちらちらしているのを見つけて、思わず「おおっ」とこぼしてしまいました。すると一緒に歩いていたベンガル人の友人に「日本では、ホタルはいませんか?」と聞かれて、「僕が住んでいたあたりでは見たことがありません」と答えましたが、その友人には、事態がよく伝わっていないかもしれません。
 コルカタは、観光客には水が心配、蚊が心配、空気が悪い、ゴミだらけの印象が強く、僕自身もそれに異論はありません。蛍は環境の良し悪しを測るバロメータとよく言いますから、蛍と人間とでは、ずいぶん環境の感じ方が違うものです。あるいは、好んでは決して入りたいとは思わない、どんよりした場所が残っていることで、折よく棲み分けがなされているのかもしれません。幼虫の餌になるタニシやカワニナの類もたくさん生息しているということでしょう。僕が青少年期を過ごした東京とは、街のかたちが、全く異なる価値観で成り立っているよなぁ。
 蛍が飛んでいるのを見るたびにそんなことを思っていましたが、11月も中旬を過ぎて、それがすっかり見られなくなりました。

(2008年11月、うえはらゆうき)

「気になる祭り」
-ready for Durga puja-

 
 酷暑の4、5月を過ぎて雨期を迎えると、ときたま降る大雨に、コルカタの街なかはあわや水上都市の様相を呈します。至るところで大きな大きな水溜りが出来、上昇した水面を人や自動車やリクシャが行き来する姿は、まさにあっぷあっぷといった感じです。
 4、5月に比べて気温が下がったとは言え、特に9月は日差しが強く、しかも湿度も高いので屋内にいても空気のよどみに苦しみます。外を歩くとたちまちベトベト、むしろ一年で一番過ごしにくい季節なのかも知れません。秋分から日が短くなりますが、それまではこのような気候が続きます。
 そんな中、感心するのは9月に入る頃からいそいそと始まるドゥルガー・プージャ(ヒンドゥー教の女神であるドゥルガーの、アスラ王マヒシャ討伐を祝う祭り)の準備です。「この暑い中よくやるよなぁ」と思うのですが、我が家のすぐ近くにもやぐらの骨組みがたちまち立ち上がり、日々黙々と作業に取り掛かっています。もちろん、たっぷり昼寝もしているようですが。
 ベンガル地方(DRCSCの活動がおこなわれている西ベンガル州も含まれます)ではドゥルガー・プージャを盛大におこなうことで有名です。やぐらはドゥルガーを天から迎え、送るための施設なのですが、街の至るところで立ち上がったやぐらのモチーフは奇知に富んでいて、昼も夜も本当に華やか、街中がテーマパークのようになります。僕が知るのはコルカタの様子だけですが、人々のドゥルガーへの思い、ドゥルガー・プージャが大好きで、とてもありがたくて仕方がないという気持ちが溢れ、よく伝わってきます。
 そしてこの祭りの前後で人々が気にかけることのひとつに、ドゥルガーがどの乗り物に乗ってきて、また帰っていくか、というものがあります。それによって、その年の運勢が決まるからです。乗り物には象、船、馬、揺り篭の4つがあり、吉報の続く年、雨に恵まれ豊作の年、死者の多く出る年、世間的混乱の起こる年などが占われます。
 正式には祭りの後に分かります。農村プロジェクトを展開する観点からも、ちょっと気になるところです。

(2008年9月、うえはらゆうき)


写真 〜2007年のドゥルガー・プージャより


奇抜な形をしたやぐら

ドゥルガー像

大きな会場には
移動遊園地もやってくる

「割りと暇なシーズン」
-"off-season"?-

 例年どおりのタイミングで今年も6月の2週目に雨季に入りました。4月、5月は例年より暑さが厳しくなかったと人は言いますが、かなりの蒸し風呂状況だったことに変わりはありません。この時期、ヒンドゥーの神々も涼しいヒマラヤにいらっしゃるのか、下界ではお祭りなどの行事はもちろんなく、学校は5月中旬から一ヶ月程夏休みになります。休みといっても、子ども連れでこの暑さの中動きまわるのには覚悟が要ります。たいていの人は不必要な外出は避けて静かに日常をこなしているようです。
 DRCSCの事務所も、訪問客やゲストもこの時期少なめです。もちろん、暑い夏にわざわざインドを訪問する人はそんなにいません。6月初めの2日間に渡って「教育チーム」主催で、おもにスタッフの子どもたちを対象にしたサマーキャンプが事務所で行われたと漏れ聞いていますが、ティーンエイジャーの子どもの親となった私にはもはやそこまでのエネルギーはありません。主催したスタッフに敬意を表します。一般的には(私だけかもしれませんが)この時期は仕事をしていなくても、汗だくのせいで、なんだかすごく仕事をしているような気持ちにもなったりします。
 さて、雨季の今、気温は人間生活が無難にこなせる摂氏30度前後ですが、今度はコルカタの街の通りのあちこちが、ちょっと大雨が降ったりすると水浸しになるという不便さがあります。交通渋滞もひどくなります。こういう雨季の時期も人々が集まりにくいので、大きな行事や集会などは雨期明けに回されることが多いです。村ではこの時期田植えで忙しいといういうこともあり、NGO側が村人にミーティングなどで時間をとることも控えなければなりません。
 ということで、インドのNGOの割りと暇なシーズンの様子をお伝えしました・・・と、思いきや、「持続的農業チーム」は、最近洪水にみまわれたミドナプール県の農民たちの再生活動でこのところ多忙の様子です。暑くても、雨が降っても、NGOの業務は続きます。

(2008年7月、チャタジー公子)



「25周年のDRCSC」
-DRCSC celebrates 25th anniversary-

 毎年5月1日のDRCSCの設立記念日には、祭日ということもありスタッフやその家族たちが集います。今年は25周年のふり返りということで、いつもより盛大な会となりました。会場はインド式に事務所の屋上に布で天幕をはったものです。暑さの最も厳しい5月、それでもパートナー団体からも多くの仲間が駆けつけてくれました。各県の喉自慢のフィールドワーカーたちの歌、子どもたちの踊り、スタッフたちの寸劇、代表者たちの簡単な挨拶など、大型旋風機数台の喧騒でよく聞き取れないのもなんのその、ささやかに熱くにぎやかに混雑気味に、昼ごはんの饗宴とともに会は執り行われました。
 1982年にDRCSCは社会活動、ジャーナリズム、研究、法律などに従事している複数の多彩なメンバーたちによって作られました。夫のチャタジーもその中の一人でした。まだ結婚前「村が見たい」という動機で初めてインドを訪れた私も、思えばこのDRCSCの歩みの傍を一緒に歩かせてもらってきたことに感謝します。当初からのスタッフも多くいます。ああいう集団がこういう風にNGOとして機能するようになるのか・・・、25年の歳月の軌跡は多くのものを俯瞰させてもくれます。
 1991年、私たち家族は南インドのオーロビル(注1)に住んでいました。そこに西ベンガルのDRCSCのスタッフ3名が有機農法と植林などを学びに二ヶ月余り研修に来ました。DRCSCはそれまでの農村開発を持続的農業の普及に重点をおきながら展開していく方針を選択したからです。チャタジーも3人も真剣でした。こうして種は撒かれていきました。持続的農業の苗木は移植され、多くの人々の参加と働きにより、現在西ベンガルの4分の3に及ぶ地域で育っています。これを育てる水や堆肥は、いうまでもなく、人々の思いと行動です。

(2008年5月5日、チャタジー公子)



(注1)オーロビル(Auroville):1968年に始まった国際都市(Universal Township)。インド国内や30カ国からの住民およそ二千人からなる。森の中のこの「都市」は環境型農業、植林、代替エネルギー技術、ノンフォーマル教育、手工芸、建築など草分け的な取り組みをおこなってきている。(詳しくは<www.auroville.org>をご覧ください。)
 訪問してみたいと言う方が数人いらしたら、冬にご案内できるかもしれません。公子までご連絡ください。


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